昨年2017年6月、スイス・ジュネーブでの国連人権理事会で、国連の「表現の自由の促進」に関する特別報告者として、カリフォルニア大学教授のデービッド・ケイ氏が指摘した問題の一つが「記者クラブ」だった。ケイ氏は「調査報道を萎縮させる」と指摘した。そもそも記者クラブとは何か。「官公署などで取材する記者間の親睦をはかり、かつ、共同会見などに便利なように組織した団体。また、そのための詰所」(広辞苑)とある。公的機関が報道機関向けに行う発表する場合は通常、記者クラブが主催する記者会見で行い、幹事社が加盟社に記者会見がある旨を連絡する。このシステムについて日本新聞協会は「情報開示に消極的な公的機関に対して、記者クラブという形で結集して公開を迫ってきた」「公的機関に真の情報公開を求めていく社会的責務」(同協会2002年見解)など評価している。
記者クラブ所属の記者は「番記者」と呼ばれ、例えば内閣府に食い込み取材を通じて、親しくなることでネタ(記事)を取る。親しくなりすぎて「シガラミ」が発生することもある。それでもベテランの記者ほど「虎穴に入らずば虎児を得ず」と言う。権力の内部を知るには、権力の内部の人間と意思疎通できる関係性をつくらならなければならない。という意味だ。そこには取材する側とされる側のプロフェッショナルな仕事の論理が成り立っているのだ。
一方で、ケイ氏が指摘したように、こうした記者クラブの環境のもとでは政府や官公署のストーリーをそのまま発信しがちになり、権力側の圧力を跳ね返せないのではないか、ましてや権力に対し調査報道をする能力にも影響が出る、と。ケイ氏は、記者クラブは「虎穴の入り口」だと日本のメディアに警告を発しているのだと解釈している。
話は冒頭に戻る。テレビ朝日の女性記者は事務次官のセクハラ発言を告発するため上司に提案したが却下された。おそらく、上司はこれまでテレ朝として築き上げてきた財務省との情報のパイプを壊したくなかったのだ。あるいは財務省記者クラブに加盟している他社に配慮したのではなか、と推察する。いずれにしても「仕事の論理」に「#MeToo」セクハラ告発は相応しくないと判断したのだろう。「君の仕事はセクハラ告発ではない。事務次官からスクープを取ることだよ」と。この状況は何もテレ朝に限ったことではなく「報道機関に共通する課題」だと考察している。
今後、名誉棄損の裁判が始まるだろう。次官は「セクハラ発言」を否定している。事実認定をすることになる。公表された音声データの本人確認と内容確認。取材の在り様、たとえば飲食費を誰が払ったのか。次官が女性に電話して飲食店に誘ったと報道されているが、取材目的ならば経費は記者が、懇親会ならば次官と記者の折半、次官の接待ならば次官が支払っているだろう。会話のやり取りの意味合いもこうした状況によって違ってくるのではないか。裁判ではセクハラの認定をめぐり厳密な審理が行われる。
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