熊本を訪れた8日、現地では大変なことが起きていた。午前1時46分ごろ、阿蘇山の中岳で大噴火があった。このことを知ったのはJR「サンダーバード」車内の電光ニュース速報だった。阿蘇山では36年ぶりの「爆発的噴火」だという。噴煙は高さ1万1千㍍まで上がり、広範囲に噴石が飛び散っているという。熊本市内でも灰は降っているのだろうか、そんなことを思いながら熊本に向かった。
熊本に着いて、熊本城の被災状況を見た後、チャーターしたタクシー運転手に「阿蘇山まで行って」と頼んだ。すると運転手は「ここから50㌔ほどですが、おそらく行っても、帰る時間は保障できない」と言う。聞けば、熊本市内と阿蘇を結ぶ国道57号が4月の地震で寸断されていて、迂回路(片側1車線、13㌔)は慢性的な交通渋滞になっている。さらに、今回の噴火で渋滞に拍車がかかっている、という。プロの運転手にそこまで言われると、無理強いもできない。「それでは益城(ましき)町へ行ってほしい」と方針を変えたのだった。
ともとも益城町へ行く予定だった。4月14日の前震、16日の本震で2度も震度7の揺れに見舞われた。今はほとんど報道されなくなったが、現状を見て愕然とした。新興住宅が建ち並ぶ中心部と、昔ながらの集落からなる農村部があり、3万3千人の町全体で5千棟の建物が全半壊した。実際に行ってみると街のあちこちにブルーシートで覆われた家屋や、傾いたままの家屋、解体中の建物があちこちにあった。印象として復旧半ばなのだ。
とくに被害が大きかった県道沿いの木山地区では、道路添いにも倒壊家屋があちこちにあり、痛々しい街の様子が。タクシー運転手は「先日の新聞でも、公費による損壊家屋の解体はまだ2割程度しか進んでいないようですよ」と。そして農村部では倒壊した家の横にプレハブ小屋を建てて「仮設住宅」で暮らしている農家もある。益城ではスイカ、トマトなどが名産で、被災農家は簡単に自宅を離れられないという事情も想像がつく。
またまた8日付の地元紙、熊本日日新聞を購入して広げると、「益城町の復興計画骨子案」が一面で掲載されていた。市街地の北側に新たに「住宅エリア」を、熊本空港南側には新たな「産業集積拠点」などを設けるとしている。骨子案は12月に取りまとめ、県や国にも説明してその後3月議会で採択、それから土地の買収交渉などの長い道のりが想定される。
噴火と震災のクマモト。言葉で「復興」「復旧」「再生」は簡単だが、それを実施する行政的な手続き、復興政策の策定には時間がかかる。時間と戦いながら丁寧な行政手続きを進める、日本型の復興モデルになってほしいと心から願った。
⇒9日(日)午後・熊本の天気 はれ