
世界遺産であり、危機遺産でもあり
つぶさにその様子を観察していると一つだけ気になることがあった。人と犬の関係が離れている。子供の後をついてきたり、子供が犬を抱きかかえたり、「人の友は犬」という光景ではないのだ。今回の訪問に同行してくれた、イフガオの農村を研究しているA氏にそのことを尋ねると、こともなげに「イフガオでは犬も家畜なんですよ。それが理由ですかね…」と答えた。人という友を失ったせいか、その運命を悟っているのか、犬たちに元気がない、そしてどれも痩せている。気のせいか。
世界遺産の登録(1995年)、世界農業遺産(GIAHS)の認定(2005年)でイフガオの棚田でもっとも観光客が訪れるバナウエ市。13日、ジェリー・ダリボグ市長を表敬に訪れた。訪れたのは、同日オフガオ視察と交流に合流した同じ世界農業遺産の佐渡市の高野宏一郎市長、それに金沢大学の中村浩二教授、石川県の関係者、国連食糧農業(本部・ローマ)のGIAHS担当スタッフだ。バナウエは人口2万余りの農村。平野がほとんどない山地なので、田ぼはすべて棚田だ。バナウエだけでその面積は1155㌶(水稲と陸稲の合計)に及ぶ。市長によると、残念ながらその棚田は徐々に減る傾向にある。耕作放棄は332㌶もある。さらに驚くことに専業の農家270軒だという。マニラなどの大都市に出稼ぎに出ているオーナー(地主)も多い。耕作放棄された棚田を農家が借り受ける場合、最初の2年間は収穫の100%は耕作者側に、以降は耕作者とオーナーがそれぞれ50%を取り分とするルールがある。市長は「棚田の労働はきつい上に、水管理や上流の森林管理など大変なんだ」と話す。農業人口の減少、耕作放棄など、平地が少ない能登とイフガオで同じ現象が起きていると感じた。
バナウエの棚田を見渡すと奇妙な光景もある。棚田のど真ん中にぽつりと一軒家が立っていたり、振興住宅のように数十軒が軒を並べたり、棚田が一部に宅地化して、世界遺産や世界農業遺産の景観と不釣り合いなのだ。A氏に聞くと、ここ10年余りで棚田に造成されたものだという。実は人口自体は増える傾向にある。観光業者を営む人々が増えているのだ。統計によると、2001年にイフガオを訪れた観光客は5万3000人、2010年では10万3000人と倍増した。国内の観光客は一定して5万人ほどと変わらないが、2004年ごろから外国人客が急増し、2008年からは国内客を上回るようになった。バナウエでは沿道に土産物店が軒を連ねる。バイクの横に1人乗りの籠(かご)をくつけた、「トライサイクル」と呼ばれる3輪車が数多く走り回っている。ジープニーと呼ばれる派手なデザインの小型バスも。イフガオではトライサイクルの料金は1時間30ペソ(マニラは60ペソ)だ。精米されたコメが1㌔おおよそ35ペソで市販される。コメをつくりより、トライサイクルを走らせた方が稼げると考える若者が増えている。
こうした兆候は1995年に世界遺産に登録されたころからすでに出始めており、2001年には世界遺産としての棚田景観が後継者不足による棚田放棄、転作による景観維持への影響があるとし、「危機にさらされている世界遺産リスト(危機遺産リスト)」に登録されている。
⇒13日(金)夜・バナウエの天気 くもり