避難所に必要なのは「かわら版」的な情報ペーパー
2007年3月25日の能登半島地震から4年になる。現地でのボンラティア活動でも上記と同じ思いをした。各地からさまざま善意が届けられる。しかし、それを受ける現地の状況が理解されていないために、返って混乱を招いている。私が目撃した一つの例を述べる。被災者の避難所には毎日、新聞各紙がどっさりと届けられる。ところが、避難所となっている地区の集会場は体育館のように大きくはない。被災者は肩を寄せ合っている状態だ。そこに新聞が山積みされても、まず新聞を広げて読むスペースが十分にない。しかも、新聞を広げても被災者が欲しい情報、たとえば回診や被災相談などの細かな情報は掲載されていない。読まれない新聞が日々どっさりとたまる。それを廃棄場所に持って行き始末するのはボランティアの役目だった。
そのような事情の中で、被災者が「かわら瓦」と呼んで手にしていたのは朝日新聞社が避難住民向けに発行した「能登半島地震救援号外」=写真=だった。タブロイド判の裏表1枚紙で、文字が大きく行間がゆったりしている。住民が「役に立った」というのは、災害が最も大きかった被災地・輪島のライフライン情報に特化した「ミニコミ紙」だったからだ。救援号外は、朝日新聞が阪神淡路大震災の体験から、より被災者に役立つ情報をと2004年10月の新潟県中越地震で初めて発行した。能登半島地震では、カラー写真を入れるなど、より読みやすく工夫された。
日々改良も加えられた。1号(3月26日付)で掲載された、給水車から水を運ぶおばあさんの顔が下向きで暗かった。これでは被災者のモチベーションが下がるのではないかとの配慮から、2号からは笑顔にこだわり、『毎号1笑顔』を編集方針に掲げた。さらに、長引く避難所生活では、血行不良で血が固まり、肺の血管に詰まるエコノミークラス症候群に罹りやすいので「生活不活発病」の特集を5号(3月30日付)で組んだ。義援金の芳名などは掲載せず、被災地の現場感覚でつくる新聞を心がけ、ごみ処理や入浴、医療診断の案内など生活情報を掲載した。
カラーコピー機を搭載した車両を輪島市内に置き、「現地印刷」をした。ピーク時には2000部を発行し、7人から8人の印刷・配達スタッフが手分けして避難所に配った。夕方の作業だった。地震直後、同市内では5500戸で断水した。救援号外は震災翌日の3月26日から毎日夕方に避難所に届けられ、給水のライフラインが回復した4月7日をもって終わる。13号まで続いた「避難所新聞」だった。
これは提案だが、新聞各社がそれぞれにこうした「避難所新聞」をつくってはどうだろうか。いまからでも遅くはない。ただ、東日本大震災では2100ヵ所の避難所がある。各紙が話し合って配付地域を決めて実施してはどうだろうかと提案したい。
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