☆震災とマスメディア-1-

 16日朝、金沢は氷点下の冷え込み、雪だ。山沿いの一部では大雪注意報も出ている。被災地の東北地方もマイナス3度から4度と真冬並みの寒さという。農山漁村の集落で9200人が未だに孤立している。被災地に派遣されている自衛隊のヘリコプター190機のほか消防ヘリが捜索や救助活動を進めているが、学校や公民館などで肩を寄せ合って寒さと飢えをしのいでいる姿を想像すると心が痛む。

        その情報は被災地に届いているのか、問いかけて欲しい

 一方、今朝のニュースは、ニューヨーク外国為替市場で、円相場が一時1ドル=76円台に急騰し、1995年4月19日につけた1ドル=79円を超えて史上最高値となった。3月末の決算期を控えた日本企業の円需要が増しているのと、保険金の支払いに備え、保険会社が外貨資産を売るといった思惑、さらに日本政府が外貨準備として保有するアメリカ国債を売るのではないかとの観測まで広がっている。日本政府が国債増発ではなく、外貨準備に手をつけ、米国債を売却するのではないか、という憶測だ。アメリカとの外交問題が絡む。注視したい。

 今回の大震災でマスメディア(とくにテレビ)がネット上で批判を浴びている。その主なものは、「記者会見で東京電力の社員が必死になって説明しているのに、記者たちはの質問はまるで吊るし上げではないか」、「ニュース読むアナウンサーがヘルメットを被っていたが、そのバックヤードで働いくスタッフたちは被っていない。これも演出か」などなど。確かに、震災発生の11日の民放各社の報道番組で、スタジオのキャスターたちのヘルメット姿には違和感を感じた。東京も震度5強だったので、被災地といえば被災地だ。スタジオの天井には照明機器が吊るされている。ただ、言葉は悪いが、「私たちも被災者の目線でニュースをお伝えします」という意識が浮き上がっていて、「くさい」のである。スタジオ後方で走り回るスタッフが被っていなかったからなおさらに。

 そのスタジオのキャスターが現地で中継リポートをする記者に、最後に「気をつけて取材を続けてください」と声をかけている。その記者の背後では家が潰れ、乗用車がひっくり返り、まさに地獄絵図が広がっている。クギ付けになった。「気をつけて…」など通り一遍の記者へのねぎらいの言葉など不要である。「取材を続けてください」でいいのである。視聴者と伝える側の温度差を感じた。

 写真は、2007年3月25日に発生した能登半島地震の被災地、輪島市門前町での写真である。倒壊した家屋に横付けしたSNG車(衛星回線を利用した映像伝送車)をにらむように見つめる被災者。被災地にドカドカと入ってきて、最初は「悲惨な被災地の現場」を見せるだった。ところが2日、3日もすると、テレビ各社のリポーターは美談を探し始めた。「愛犬が救った飼い主の命」などワイドショー仕立ての取り上げ方が目立つようになった。そして1ヵ月もするとあれほどいた取材クルーは潮が引くようにいなくなった。

 その取材の行動パターンは、被災地ではどこも同じである。悲惨な映像、美談仕立て、行政の対応批判、そしてさっといなくなる。被災地の様子をいち早く現地から全国の視聴者に伝えることは大切なことだ。メディアでしかできない。でも当時、現地に赴いて思った。被災地におけるメディアって何だろう、と。

⇒17日(木)朝・金沢の天気  ゆき