☆豊饒の海を襲った津波

 11日午後2時46分、三陸沖を震源とする国内観測史上最大の巨大地震が発生した。強い揺れと最大10㍍と推定される津波が襲い、火災も発生、岩手、宮城、福島3県で壊滅状態の地区が続出し、110万人が住む太平洋岸三陸地域を中心に犠牲者は相当数に及ぶ。宮城県栗原市で震度7、仙台市など宮城県各地、福島、茨城、栃木各県で震度6強を記録した。マグニチュードは8.8。観測史上最大規模と報じられている。三陸沖から茨城県沖にかけての震源域が連動して揺れが頻発しているようだ。

 気仙沼港に6㍍の津波が到来し、市内は広範囲にわたって水没しているとメディアは伝えている。朝日新聞社のホームページ「アサヒ・コム」は、同社気仙沼支局長の報告として次のように報じている。「気仙沼港は火の海。すごいことになっている。午後5時半すぎ、気仙沼港口にある漁船用燃料タンクが津波に倒され、火が出た。その火が漂流物に次々に燃え移っている。さらに、波が押し寄せるたびに、燃え移った漂流物が街の中に入り、民家に延焼している。周辺は暗くなっているが、一面、真っ黒な煙と炎が覆っている。あちこちで火が上がり、『バーン、バーン』という爆発音もあちこちで聞こえる。気仙沼市街地北側で火柱が3本見える」。記事を読む限り、戦場を想像させる。

 去年(2010年8月)と2008年3月、「能登里山マイスター」養成プログラムの講義に能登に来ていただいた畠山重篤氏(気仙沼市)。講義のテーマは、「森は海の恋人運動」だった。畠山氏らカキの養殖業者は気仙沼湾に注ぐ大川の上流で植林活動を1989年から20年余り続け、約5万本の広葉樹(40種類)を植えた。この川ではウナギの数が増え、ウナギが産卵する海になり、「豊饒な海が戻ってきた」と畠山氏はうれしそうに話していた。漁師たちが上流の山に大漁旗を掲げ、植林する「森は海の恋人運動」は、同湾の赤潮でカキの身が赤くなったのかきっかけで始まった。

 宮城県が計画した大川の上流での新月(にいつき)ダム建設では、畠山氏らの要請を受けた北海道大学水産学部の松永勝彦教授(当時)が気仙沼湾の魚介類と大川、上流の山のかかわりを物質循環から調査(1993年)し、同湾における栄養塩(窒素、リン、ケイ素などの塩)の約90%は大川が供給していることや、植物プランクトンや海藻の生育に欠かせないフルボ酸鉄(腐葉土にある鉄イオンがフルボ酸と結合した物質)が大川を通じて湾内に注ぎ込まれていることを明らかにした。この調査結果は県主催の講演会などでも報告され、新月ダムの建設計画は凍結、そして2000年には中止となった。畠山氏らの、ダム反対のスローガンを掲げずに取り組んだ「森は海の恋人運動」は結果的にソフトな環境保全運動として実を結んだ。

 畠山氏らが心血を注いで再生に取り組んだ気仙沼湾が「火の海」になった。心が痛む。畠山氏らの無事を願う。

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