
けさ(23日)の新聞でローマ法王ベネディクト16世がガレリオの地動説を公式に認めたとの記事が掲載されていた。記事を一瞥しただけでは、これまでローマ法王庁は地動説を認めてこなかったのかと勘違いするが、そうではない。1992年に前の法王ヨハネ・パウロ2世が、1633年に有罪とした宗教裁判の非を認め謝罪している。では、なぜベネディクト16世が地動説を認めたことがニュースになったのか。ことし1月17日、ベネディクト16世はイタリア国立ローマ・ラ・サピエンツァ大学で記念講演を予定していたが、90年の枢機卿時代にオーストリア人哲学者の言葉を引用して、ガリレオを有罪にした裁判を「公正だった」と発言していたことを問題視する学生が大学を占拠するという騒ぎがあり、講演は中止になった。それ以降、べネディクト16世がいつ地動説を認めるのかということにメディアが注目していたというわけだ。
記事によると、ベネディクト16世は21日、ローマ法王庁で信者らを前に、ガレリオについて「彼の研究は(キリスト教の)信仰に反していなかった」「ガレリオは神の業と自然の法則をわれわれに教えてくれた」と述べた。ベネディクト16世が地動説を公式に認めたのはこれが初めてという。
話はガレリオ裁判に戻る。1633年の裁判は2度目だった。容疑は1616年の裁判で有罪の判決を受け、二度と地動説を唱えないと誓約したにもかかわらず、それを破って「天文対話」を発刊したというものだった。判決は終身刑、その後、軟禁に減刑されたが、死後も名誉は回復されずにカトリック教徒として葬ることも許されなかった。ガリレオの庇護者であったトスカーナ大公が、ガリレオを異端者として葬るのは忍びないと考え、ローマ教皇の許可が下りるまでガリレオの葬儀を延期した。しかし許可はこの時代には出ず、トスカーナ大公の願いがかなったのはガレリオの死後95年たった1737年のこと。埋葬は冒頭で紹介したサンタ・クローチェ教会の聖堂で行われた。
以前の自在コラムで「科学には『常識』がない」との尾関章氏(朝日新聞論説副主幹)の言葉を引用させてもらった。時代の支配者が常識をつくる。科学はその常識を打ち破る。「それでも地球は動く」と自説を曲げない不屈の精神が時代を変えていく。一つの記事からそんなことを考えた。
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