阪神・淡路大震災(1995年1月)は震度7だった。今回の能登半島地震は震度6強。この6強を6.5と計算して、「おれは13.5の男」と自称している人がいる。石川県輪島市門前町の災害ボランティア現地本部スタッフ、岡本紀雄さん(52歳)は阪神と能登の2つの地震を経験した。そして被災者だ。
被災者だから、本当に何が必要なのかよく理解できる。その経験を生かし、新潟県中越地震(2004年10月)では被災地で支援活動をした経験を持つ。2週間余り、炊き出しやがれきの後片付けをした。前回のブログ(4月10日付)で紹介した「猿回し慰問ボランティア計画」は、避難所生活のお年寄りはストレスや疲労がたまりやすく、エコノミークラス症候群などにかかりやすいので、「何とか、外に出て歩いてもらうきっかけを」とアイデアを出し合ってひらめいたのが猿回し公演だ。細やかなことにまで気が回るのも、被災地で支援活動をした経験を持つからこそだ。
写真は3月30日、岡本さんに案内してもらって見舞金を被災地に届けた折に撮影、本人の許可を得て、今回ブログに掲載させてもらった。ところで、阪神から能登にきた理由は。阪神大震災では、兵庫県宝塚市のマンション6階にいて、自宅は半壊した。勤務していた大手進学塾を03年に退社。勤務先の研修施設があった門前町(現・輪島市門前町)に移り住み、旅行会社を設立する一方で、地域づくりのNPO法人能登ネットワークの立ち上げに参画し、事務局長に就いた。昨夏、金沢の子どもたち30人余りを能登に招いて「里山里海自然学校」を共催した。子どもたちを甘やかさず、自立を促すように導く。そんな接し方だった。
その岡本さんから先日(11日)、メールをいただた。以下、本人の許可を得て、抜粋して紹介する。
「被災の方々は、これからの暮らしについて考え始めています。仮設は立ちましたが、先ほど書いたような今までの家とは比べ物にならないものです(こちらでは町営住宅でも90平米もあって4万円台の家賃、駐車場付き)。具体的な広さは知りませんが、コンテナハウスのようなものが急ピッチでたっています。本当は言ったらダメなことなのでしょうが、部屋の狭さの不平は出てくるでしょう。IH調理器やユニットバスにもなれていないでしょうから、戸惑いも多いことでしょう。」
「ご存知のように、年配者の多い地域です。独居老人や老夫婦のことを考えると、ケアハウスのようなものを早急に考えなくてはならないでしょう。仮説だけではなく、立替や修理などの住まいの問題は、先が見えません。いろんな業者が入ってきて営業しています。自分のことだから決めるのは各自ですが、行政が音頭をとって一括した説明会などを考えないと混乱が起こることが予想されます。」
「一昨晩、沖に漁火が二つほど見えました。今日は道下の畑でかぼちゃの植え付け作業をしていました。田植えの準備のために水利組合の会合も開かれています。稲の種まきもされています。無傷の酒タンクに残っていた中野酒造のお酒は、タンクローリーで数馬・金七酒造に運ばれ、ビン詰め作業が始まっています。ラベルは中野さんのものが張られます。能登門前は一日一日元気になってきています。能登全体はほとんど震災前のままです。間接的ボランティアお願いします。能登の物産を買ってください。能登にお越しください。」
⇒13日(金)朝・金沢の天気 はれ