★ブログの技術④

  ブログの語源は公開を前提として日誌を書くので、「Web」と「Log」(日誌)を一語にして「weblog」(ウェブログ)、略して「blog」(ブログ)となったというのが定説だ。ところが同じブログでも、日々の身の回りの出来事や交遊録を綴った日記風や、本ページ「自在コラム」のように時事問題やニュース、日常の出来事に感想や意見を盛り込み一話を完結させるコラム風などスタイルは様々である。

     テーマ「日記風かコラム風か」 

ブログの発祥地はアメリカと言われる。2003年のイラク戦争の時には現地から更新されるブログが話題となってその知名度が大きく上がった。2004年の米大統領選挙では民主党陣営が草の根的にブログを使い広がった。ブロガーは本名記載、コメントも本名投稿が原則である。これに対し、日本では「2ちゃんねる」に代表される掲示板というインターネット文化がブログ以前からあり、文章も一話完結ではなく、「日々綴る」風の日記形式が多い。そして、書き手は匿名あるいはハンドルネームが主流だ。大雑把に言えば、日本は匿名・日記風、アメリカは本名・コラム風と対比できるかもしれない。

   では、どんなスタイルを自分は選択したらよいのか、これは本人次第だ。もちろん交互にどちらのスタイルを取るもの自由なのだが、文章の形式というのはどうしてもパターン化してしまい、昨日は日記風(口語)、きょうはコラム風(文語)というふうに使いこなすのは結構難しい。

   どのスタイルであれ基準は一つだ。どちらが自分にとって持続可能か、だ。基本的に日誌なので続けなければ、「三日坊主」では意味がない。このように選択を迫られると、多くの人は「コラム風は文章が長く漢字も苦手だから、日記風の方が気軽に書けて楽かもしれない」と判断するだろう。ところが、これは逆である。日常生活はそれこそパターン化されていて、よほど活発に動かない限り書くネタはすぐ尽きてしまう。それに比べ、コラム風はネタが外にある。日々動く政治、経済、社会のニュースに独自の情報や見解をつけて文章をつくり上げるほうが楽なのである。

   いわば「ネタのマーケット」を日常で求めるか、社会で求めるか、である。面白い事例がある。それまで日記風に書いていたブロガー(私の知人)が8月の「小泉解散」、9月の総選挙をきっかけに政治ネタを書くようになった。それ以降、コラム風のブログに目覚めた彼の文章は切れ味がシャープになり、鮮度が格段によくなった。

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