★続・古民家のアーキテクチャー

   さる6月6日、文部科学副大臣の塩谷代議士が金沢大学の自然科学系図書館、自然科学棟、そして創立五十周年記念館「角間の里」を視察に訪れた。林学長から塩谷副大臣に紹介をいただき、私は塩谷氏と会話するチャンスに恵まれた。

(宇野)「民間のテレビ局から転職しました。よろしくお願いします」
(塩谷)「ほお、珍しいね。ところで、この古民家はあと何年持つのかね」
(宇野)「建築家はあと百年はかたいと言っています」
(塩谷)「百年か、百年たったら周囲の建物はないな」
(宇野)「それもそうですね…」

   ほんの二言三言の立ち話だったが、塩谷氏の言葉は印象深かった。コンクリートの耐久年数は50年か、よく持ちこたえて60年である。百年もたてば今ある大学の周囲の建物はなくなって、この館だけが残るだろう、塩谷氏はそう言ったのである。

   私はいま50歳である。余命は30年余りだろう。私の死後20年か30年たって、この古民家を再評価する動きが出てくる。大学は再び総合移転する必要性に迫られ、この家の処遇をめぐって、どう評価するかという論議である。その時、この家に関するインターネット検索が行われるだろう。するとこの家について記した私の「自在コラム」がインターネットの海底深くからサルベージされるはずである。以下は後世の人に贈る私の備忘録である。

   私はこの家で人生のある時を刻んだ。この意味で私はこの家のファミリーの一員である。この家の懐に抱かれるようにして時を過ごし、人と出会い、夢を語り、人生に悩み、そして生きるすべを考えた。私がここにいるだけでどれほどの人が訪ねてきてくれただろうか。私を訪ねてきてくれたのではない、この家を訪ねてきてくれたのだ、と思っている。

   学生時代にインド哲学でリーインカーネーション(輪廻転生)という言葉を習った。この家の価値を認める人がいる限り、この家はまた再生する。50年後、60年後の再評価の声というのは、この家を再生させるための呪文に過ぎない。私はそのことを「リーインカーションの調べ(旋律)」と仮に名付けた。この家、老翁のつぶやきが聞こえる。「私はもう300年も400年も生きている。もう死なせてくれてもいい。どうしてももう一度というのなら、今度は海の夕日の見える丘の上に建ててくれ、山里の暮らしが長かったから…」。後世の人はどうか老翁のこの願いをかなえてやってほしい。(2005年6月25日)

⇒25日(土)午前・金沢の天気  晴れ