☆強風のため伝統の「加賀鳶はしご登り」の妙技は披露されず

日本海側に寒波が流れ込み、きのう北陸では非常に強い風となったた。能登半島の中ほどに位置する羽咋市では最大瞬間風速29.5㍍と、台風並みの強風が観測された(地元メディア各社の報道)。そして、3連休の中日、この強風でいろいろなイベントが中止になったようだ。報道によると、今月9日付のブログでも紹介した、金沢市中心部にあり寒紅梅が咲く尾山神社では風のため左義長が中止となった。この行事は正月飾りなどを市民が持ち寄り焚き上げる恒例の催しだが、強風で飛び火などが懸念されたことから中止となったようだ。

そして、金沢が誇る江戸時代からの伝統行事「加賀鳶(とび)はしご登り」の演技も風のため中止となった。金沢城公園で金沢市の消防出初め式が行われ、そのメイン行事の加賀鳶はしご登りが行われる時間帯には風速14㍍ほどの強い風が吹いていて、はしごを立てることも危険だと判断したようだ。加賀鳶はしご登りは、消防団員が高さ6㍍の竹はしごの上で伝統の妙技を繰り広げる=写真、「金沢市消防団」公式サイトより=。市民にとっては左義長と同じく正月の終わりを告げる恒例の行事でもある。

そもそも「加賀鳶」とは何なのか。金沢は加賀百万石の優雅な伝統と文化の雰囲気が漂う街と思われているが、一方で江戸時代から防災については厳しい街でもある。これはよく知られた一例だが、城下町独特の細い路地がある東山地区などでは、「火災のときは家財道具を持ち出すな」というルールが伝えられている。持ち出した家財道具が逃げ道をふさぐことにもなるからだ。そして、加賀鳶と呼ばれる集団は、金沢の自主防災組織を言う。もともと、加賀藩が江戸本郷の藩邸に出入りする鳶職人で編成した消防夫の集団が始まりで、大名火消し組織の中でも威勢の良さ、火消しの技術で名高かったとされる。明治維新後は加賀鳶の消防夫たちが江戸から金沢に移り住んだ。

ではなぜ、加賀鳶の消防夫たちは尊ばれたのか。金沢にはもともと火災が発生しやすい条件がある。気象庁の雷日数(雷を観測した日の合計)の平年値(1991~2020年)によると、全国で年間の雷日数がもっとも多いは金沢の45.1日だ。雷がとどろけば、落雷も発生する。1602年(慶長7)に金沢城の天守閣が落雷による火災で焼失している。石川県の消防防災年報によると、県内の落雷による火災発生件数は年4、5件だが、多い年(2002年)で12件も発生している。1月や2月の冬場に集中する。雷が人々の恐怖心を煽るのはその音だけではなく、落雷はどこに落ちるか予想がつかないという点だ。

前回のブログでも述べたが、「雷サージ」という現象も起きる。いわゆる雷の津波がパソコンの電源ケーブルを伝って機器内に侵入した場合、データなどが一瞬にして破壊される。なので、雷鳴がとどろくとすぐにPCの電源ケーブルを抜くことにしている。「カミナリ銀座」の金沢に住む者の心得の一つではある。

⇒12日(月・祝)午後・金沢の天気   くもり