☆ゆく年くる年、能登地震から2年④~大の里関、永井豪氏のメッセージ

この一年を振り返って、人物名として浮かぶのはやはり石川県の郷土力士、横綱・大の里関だ。同じ横綱の輪島以来52年ぶりに地元から横綱に昇進した。6月29日に大の里関の祝賀バレードが出身地の津幡町で開催された。同町に住む親せきが自宅の2階から撮った写真を送ってくれた。オープンカーに二所ノ関親方と大の里関が乗り、こちらに向かって手を振ってくれている=写真・上=。1.2㌔のルートを30分ほどかけて進み、沿道の町民やファンが「おめでとう」などと盛んな声援を送っていたようだ。去年9月の大関昇進、そしてことし5月の横綱昇進は、去年元日の能登半島地震に見舞われた地元石川の人々にとって、「唯一無二」の励みとなったのではないだろうか。

大の里関は第75代横綱となり、石川県では「3人目の横綱」と呼ばれている。「黄金の左」と呼ばれた第54代横綱の輪島(1948-2018)は能登半島の中ほどにある七尾市出身、そして江戸時代後期に活躍した第6代横綱の阿武松緑之助(おおのまつ・みどりのすけ、1791‐1852)は半島尖端に位置する現在の能登町の出身だ。阿武松は個性の強い人物と伝えられ、立合いでよく「待った」をかけたようだ。当時の江戸の庶民はじれったいことをすると、「待った、待ったと、阿武松でもあるめぇし…」と相手をなじった、という。それほど話題になった人物だった。能登町の海辺に、高さ4.5メ㍍、幅2.4㍍の石碑(1937年建立)がある。案内板によると、相撲力士碑としては日本一の大きさのようだ。能登半島地震にも耐え、堂々と海を望むように建っている=写真・中、2024年4月撮影=。

石川県とゆかりのある人物をもう一人。11月の秋の叙勲受章式で、芸術文化の分野で漫画家の永井豪氏に旭日小綬章が贈られた。永井氏は能登半島の輪島市出身で、朝市通りにあった「永井豪記念館」の名誉館長をつとめていた。今から40年余り前の話だが、自身は新聞記者として輪島支局に赴いた。当時の永井氏の作品のイメージは、『ハレンチ学園』などギャグ漫画だった。地元の人たちは永井氏が輪島出身ということを知ってはいたが、当時それを自慢話として語る人はいなかった。

地元での評価が一転したのは日本のアニメが海外で大ブームとなり、永井氏の『UFOロボ グレンダイザー』などがヨーロッパで人気を博したことだった。輪島市役所は2009年に「永井豪記念館」の設置へと動いた。2019年、フランス政府から芸術文化勲章「シュバリエ(騎士)」が永井氏に贈られた。永井豪記念館にはインバウンド観光の見学者が増えるなど、観光スポットにもなった。その記念館が能登地震で朝市通り一帯が焼けて、ビルも焼け焦げた=写真・下、2024年3月撮影=。

その後、ビルは公費解体で撤去された。永井氏と所属プロダククションは輪島市と石川県にそれぞれ1000万円、計2000万円の義援金を贈っている。永井氏は「漫画はつらいときこそ、力になって希望を満たすことができる。漫画を描くことで『前に進もう』というメッセージを伝えたい」と語っていた(2024年1月25日付・読売新聞オンライン)。永井氏はことし6月に輪島市を訪れ、市役所に輪島塗の額に入った『マジンガーZ』の活版印刷作品など11点を寄贈した。翌7月には永井氏らが行ったチャリティーオークションで得た収益金1億2300万円を石川県庁を訪れて寄付している。ふるさとへの想いが伝わって来る。「前に進もう」

⇒30日(火)午後・金沢の天気   あめ