★ゆく年くる年、能登地震から2年①~金沢城の「しめ飾り」と崩れた石垣その後

きょうを含めてことしもあと5日。雪景色の金沢市内は多くの観光客でにぎわっているが、一方で正月の準備も進んでいる。市の中心街にある金沢城公園の橋爪一の門では恒例の「しめ飾り」が取り付けられた。きょう街に出たついでに見学に行くと、ここも人だかり。正月飾りを珍しそうに撮影するインバウンド観光客も多くいた。金沢城の橋爪門は正門とされ、しめ飾りはここだけに取り付けられている=写真・上=。

面白いのはしめ飾りの呼び方で、「数の子飾り」。藩政時代に浮世絵の巌如春(いわお・じょしゅん)が描いた『加賀藩儀式風俗図絵』の中で、元日の登城の風景画として出てくる=写真・中、金沢大学附属図書館デジタルアーカイブ「儀式風俗図絵」より=。しめ飾りは稲なわで造られ、縄の長さは約3間(5.4㍍)あり、数の子を横にしたカタチにも見える。見た目だけではなく、数の子を「子が多い」という意味でとらえ、子孫繁栄の願いが込められているようだ。しめ飾りは1月14日まで設置されている。

それにしても金沢城公園をぐるりと取り巻く石垣は壮観だ。城郭は石の素材やカタチや大きさ、積み方、そして年代など実に多様性に富んでいて、「石垣の博物館」とも称される。2024年元日の能登半島地震で石垣の一部が崩れ落ちた。半島尖端の震源地から直線距離にして120㌔ほど離れていたが、金沢は震度5強の揺れに見舞われた。このため、石垣の被害は30ヵ所に上り、うち江戸から昭和期にかけて造成された5ヵ所で崩落が起き、23ヵ所で壁面が膨らむなど変形した。(※写真・下の上はきょう27日に、下は能登地震直後の去年1月2日にそれぞれ撮影)

その一つ、「本丸南石垣」に行って見ると、復旧途中であるものの石垣が元の姿に戻りつつあった。落ちた石195個を回収して、1ヵ所に集め、形状などから元の配置場所を特定。その場所を示す数字を回収した石にそれぞれナンバーリングした。それを元に再度積み上げる作業が行われている。

金沢城の石垣の石は8㌔ほど離れた戸室山の周辺から運ばれた安山岩だ。金沢では「戸室石(とむろいし)」として知られる。赤味を帯びた石は「赤戸室」、青味を帯びたものは「青戸室」と称される。戸室山で発掘した石を運んだルートを石引(いしびき)と言い、現在でも「石引町」としてその名前は残っている。石垣の石には歴史が刻まれている。

「ゆく年くる年、能登地震から2年」と題して、2024年元日の能登半島地震のその後の現状をまじえながら各地の年末年始の光景を綴る。

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